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二つの世界 [others]

 巷はSARS-CoV-2で大騒ぎとなっている。インフルエンザに比べて「蔓延している」とは言い難いこのウィルスがどうしてここまで取りざたされるのか、未だよく理解出来ていない。インフルのように迅速キットの抗原検査もなく、ワクチンも特効薬もないから状況は全く違うのだ、という力説もそれらが揃っているインフルがコロナをしのぐ大量の感染者と死者を出していることを考えると説得力は微妙だ。
 この納得できない騒動のお陰で最近は家に籠って仕事しているのだが、公私のオンオフができないし、運動不足になるし、ウィークデイは仕事が終わると自分のPCの電源も入れる気が起きないほど疲れてしまう。そんな時は、この一件が治まったらこうしようとか、どうしたいとか妄想を巡らせることになる。ということで今回は徒然と駄文を連ねたい。

 さて遠い昔の話だが、子供をある教育の場に入れた(と言っても宗教団体ではない)。そこで他の子の母親に何故ここに入ったのかと訊かれ、何とはなしに「世界はひとつだけではないと知ってほしくて」と半ば反射的に答えた。
 思えばその頃から私は「世界」というものを認識した。世界は意識あるものが認識した数だけ存在するマルチバースなのだ。しかしそれは私たち生物やその他の森羅万象をすべて含むこの時空連続体の中でのことと考えているので、マルクス・ガブリエルのような認識ではない。

 それはともかく、私にとってカランコエの世界はどんなものだろう。これは2つの世界が交差していて、ひとつは自然界で野生のカランコエが自生している世界。そしてもうひとつはこの植物群を愛で楽しむ人たちの織り成す世界、平たく言えばマニアの世界である(学術的な部分も含まれる)。人間が自然の産物に魅せられたとき、この二つの世界の交錯は免れないのではないだろうか。
 そしてそれらの世界に足を踏み入れると、その世界の何かに憧れを抱くことがある。私の場合、野生の世界では木本性カランコエに、そしてマニアの世界では子宝草に憧憬を覚えた。なので好きなカランコエは木本性のアルボレスケンスと草本性ではラクシフローラあたりだろうか。

 木本性カランコエが育つ長い期間、様々な試練が繰り返し訪れるだろう。それらを乗り越えて生き残った木々には畏敬の念を抱かずにはいられない。以前も別の駄文で述べたように孤高の野生カランコエに神秘的なものを感じ、その世界に触れることに思いを馳せるのはマニアとして当然のことかもしれない。
 同様にカランコエに精通したマニア達の世界にも憧れた。動物分類学の世界に触れたときと同じ感慨を抱き、いつかその世界に足を踏み入れたいと思った。そしてこのブログを始めたのだが、今やっと一歩踏み出せたように思う。まだまだハーフウェイ・マニアだが、少しずつレベルアップを図りたい。今年はそのためにクリアしていくべきことを計画して、色々と整理発展の年にしようと思う。

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個人的にこういう姿に感嘆するのである

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